BMDは新しい健康法を作りました。

ミモレ農園 農薬不使用 菊芋
ミモレ農園 菊芋

体内を見つめながら・・・自覚できる世界

 

今月は、私の「プラス・マイナス・ゼロ健康法」生活の体験談を書かせていただきます。
 

ウイルス性の風邪を引くまでは、とても快適で、その生活を満喫していました。

高熱が出ると、腸内フローラにエサをあげるという、考え方は何処かにいき、わが身の保身のみを考えてしまい、体調が崩れてはじめて、自分の間違いに気が付いたという、あまり、誇らしく言える話でもありませんが・・・、あえて言えば、その成果は、今まで考えていた世界とは、違う、もっと細かいところまでの体内の仕組みについて、より深く、知る事が出来たと言えるかも知れません。
 

皆様の、今後の生活の参考になる事を願って書かせていただきます。
 

ウイルス性の風邪に感染した時の事です。
私は、ここ何年も、ウイルス感染することはありませんでした。
 

風邪をひいても、普通の風邪でした。私自身、知らない内に、ウイルス性の風邪には強いという自信のようなものが出来ていたように思います。

 

今から考えれば、感染する条件を自分で作っていた事が分かりますが・・・、思い込みという思考の、傲慢さを反省しました。
 

その理由は、その1か月前ぐらいに、石畳の道で、つまづいて、顔を打撲した事がありました。その、ぶつけた瞬間、体の氣は足に流れ、肩が重かったのが・・・、肩に溜まっていた電気が一緒に降りたらしく・・・、軽くなりました。
 

そして、10年以上前に、反対の肩を強く打った事がありました。そのときに溜まっていた電気なのか、数日後、その時の痛みが蘇ってきました。
 

打撲の衝撃で、今まで溜まっていた電気が出てくれて、体は何だか軽い気持ちでした。

 

打撲した顔は、直後に、ローションとナイトオイルを塗り、ファンデーションを厚めにつけると、あまり、目立たなくなったので、ほっと、しながら、歩いていると、今度は打った部分が熱を持ってきて、ヒリヒリしてきました。持っていた、ミモレ000をたっぷり顔全体・頭にもかけました。しばらくすると、その刺激は収まり、赤みも多少引いてきました。
 

BMDシステムは何と素晴らしいと感動しながら・・・その日を終わり・・・、打撲した時は1週間はお風呂に入らない方がよいという事を思い出し、その日からお風呂を控えていました。顔には傷が残ると思っていましたが、5日ぐらいで、かさぶたが、自然に剥がれ落ちて赤みは残っていましたが、きれいな肌が出てきました。シミになっても仕方がないと覚悟していましたので、元の肌に戻れてとても嬉しかったです。
 

経過は、何もかも順調なので、打撲した事も忘れそうになっていました。むしろ、衝撃で溜まった電気が出てくれて、体が軽くなっていましたので、打撲に感謝したくなる気持ちでした。その間、何時もよりも、BMDシステムやミニファームでの氣代謝はしていました。
 

そして、1週間が経過した時、体調が変化してきました。私の想像ですが・・・、打撲した時の衝撃の電気信号が・・・、細胞の中まで影響していたようで、その余分な電気が、まるで、湖畔の水面から、湯気が出てくるように・・・、体のあちこちに表れてきました。
 

もし、お風呂に入っていると、お風呂の熱に誘導されて・・・、いたのかと、思うと、昔の人の生きる知恵に触れたように思いました。

 

 

ミモレ農園 農薬不使用 冬瓜
ミモレ農園 冬瓜

ハッピー・いやしファーム・ミニファーム等で、氣代謝をして足におろしますと・・・、その、衝撃の電気信号が体外に出て行きました。
 

打撲して直ぐには、衝撃の電気信号が影響している、微細な部分は、動かないことを知りました。良い経験をしたと喜んでいましたら・・・、打撲の衝撃で、神経系統も刺激されたらしく・・・、ある日、ヘナで髪を染めようと思い、何時ものように染めていましたら・・・、突然、かゆみが出て、顔が腫れあがってきました。その症状は、半端ではなく、次に痙攣が起きてきて・・・、なすすべもなく、耐えていました。そして、思い出したのが、今から24年前頃に経験した、ゴキブリの殺虫剤で起きた症状でした。
 

原因は、ゴキブリの殺虫剤入りの巻き寿司を食べたからです。食べた直後は異常な唾液が出続けました。それも、ひと口だったのですが、3週間痙攣が続き、点滴は24時間、1日10キロの量をし続けていました。その間発作が起きて、30分以内に手当をしないと死に至ると言われていました。幸いなことに、寝ていた同じビルに内科があったので、間に合いました。
 

余談ですが、内科の患者さんが下さった巻き寿司でした。当日、医師には、私が食事を作って食べてもらっていました。もったいないので、数人で頂き、私が一番、重かったのでした。その時は、私で良かったと思いました。
その後、ヘルペスにもなりました。
 

この時私は、体内の電気信号の存在を確信しました。頭が痛くなった、1日目は鎮痛剤を服用しました。2日目にも服用しましたが効きませんでした。3日目に頭が鈍くなっているのを感じて、このまま鎮痛剤を飲み続けると、私の体は鈍ってしまうと思い、薬を止め、研究していた、氣代謝誘導をし続けてみました。そうすると、頭の電気だと思いますが、雷のような音がして、ゴロゴロと音を立てながら・・・、右肩に降りた電気は、左足に降り、左の小指から出て行きました。その時の音は、ゴロゴロ・・・カッチンと聞こえました。
 

それ以後、体内の電気信号を調整する機械の開発に取り組み、今の、氣代謝誘導装置、氣代謝発信装置を作りました。多くの人から、意味の分からない機械と言われましたが・・・、会員の方々の支援のお陰で・・・、今も、現役で活躍しております。
 

6か月後に、心臓発作が原因の脳梗塞が起きました。海馬に血栓が飛んだので・・・、3か月ぐらいの記憶が飛びました。後遺症は両手の親指に力が入らなくなり・・・、包丁が使えない状態でした。
 

27歳の時あと10年と診断された、腎臓疾患と付き合って生きてきて、ひのきの科学と出会い、腎臓が改善され・・・、生きられるという喜びを感じていた矢先の事でした。
 

でも、病気慣れしている私の体は、いろいろな事に出会っても、コツコツと乗り越えて、今日まで、私を生かしてくれています。こんな内容を書いていますと、終わりませんので、伝えたいことは、その中毒症状が、再現されたということです。治った、過去の事と思っていたのに、記憶はあり、症状が蘇ったことに驚きました。
 

それから・・・数週間も、異常なかゆみが続きました。出ているのだから良いことだと考え、顔は赤みを帯びていましたが・・・、アトピーの方の事を思い出し、大変なのだという事を知りました。
 

その時までは、「プラス・マイナス・ゼロ健康法」を自覚しながらの生活を続けていましたが、神経興奮による、体の栄養バランスの崩れという考えには、至りませんでした。
 

という事は、免疫細胞・ミトコンドリア・腸内細菌の活動低下につながっていると考えるべきでしたが、症状に気持ちが向いた生活だったことを、今、反省しています。
 

ミトコンドリアや腸内フローラと通じていると思い込んだ生活をしていましたが、私の体の変調で、苦しんでいるという考えは浮かんできませんでした。
 

ミトコンドリアや腸内フローラの機能低下は免疫力を低下させ、病気を迎え入れている事になるという事は、頭では理解していましたが、常に体を支えてくれているミトコンドリアと腸内フローラの立場からの思考が足りなかったようです。

 

 

ミモレ農園 農薬不使用 リーキ
ミモレ農園 リーキ

そして迎えた、9月の連休の時、熱が出ました。38.6度の・・・、半日ぐらいで下がりましたが・・・、微熱は2日ぐらい続きました。
目立つ風邪ひき症状もなかったので・・・、私は腎臓の炎症を疑っていました。
 

結果は、肺炎を引き起こすウイルスに感染していたようでした。
 

今年のこのウイルスは、治りにくいらしく・・・、私の場合、肺だけではなく、目、鼻と粘液のあるところでは、何処でも感染していくのを感じました。
 

その感染が分かった時、ミトコンドリアと腸内フローラの機能低下で、免疫力が低下しているという事に気が付けば、まず、熱の事よりも、ミトコンドリアと腸内フローラを元気にする事を優先していたと思いますが、頭は出た熱の事で一杯になりました。
 

まず取った行動は、締め切りが近い原稿がありましたので・・・、この熱が続くと思考が鈍り書けなくなると思い、原稿を書き始めて半日・・・、熱は微熱になったのですが・・・、私の行動でした。ミトコンドリアへのケアは、BMDシステムを活用することで出来ますので、氣代謝誘導と「飲んで・付けて・洗って」森林浴ケアを充分しておりました。
 

寝込むことのない状態なので、軽いと言えばそうですが・・・、感染からどう脱出するかが、私にとっては意味あることなので、いろいろ考えました。
 

結果的には、感染症状を体験した事で・・・、体の中をより知る事となり、私的には、勉強になった部分はあるのですが・・・、軽い症状だったから言える事で・・・、これが重たい場合は、死に至るということも、想像できる体験でした。
 

重なる表現になりますが、今から考えますと、「プラス・マイナス・ゼロ健康法」を実践しているのに・・・、考え方も変えて生きていたはずなのに、今までの、知識を基本とした思考回路の世界に、埋もれていたように思います。その、湿疹と痙攣でどれだけの、エネルギーや栄養を使っていた事、その私の肉体の症状で、腸内フローラやミトコンドリアの働きに、負荷をかけた、という考えなど思い浮かびませんでした。
 

この、「プラス・マイナス・ゼロ健康法」を進めて、納得できる結果に満足はしていましたが、体調が崩れたときに、こうした、考えは、思い浮かびませんでした。
 

更に、この思考が間違っているという反省など、ありませんでした。
 

そして、熱が出たとき、私の思考は、今、自分が「プラス・マイナス・ゼロ健康法」を進めているという事など、すっかり忘れてしまいました。と、言うより、熱が出ていることが優先となりました。食事も、欲しくないから・・・、熱があるから・・・、と、完全にリズムを崩してしまいました。空腹を感じないので、食事も2日ぐらい食べませんでした。
 

この考えが、大きな間違いであったことが分かったのは、その後のことでした。
 

その時、ミニファームの平板は足に・・・、端子は手に・・・、ミモレ888とプロポリス・ひのき茶・ひのきコーヒー・ひのき水・ローション・トニック・ナイトオイル・ミモレ000・ナノパッチ・・・は、大活躍しました。でも私のためだったのです。食欲がなくても、2キロの小型犬と言われている、腸内フローラにエサを与える事をすっかり忘れていました。もし、エサが必要な腸内フローラの事を思う生活をしていたら、私の体は、もう少し早く、感染から脱出出来ていたように思います。

 

 

ミモレ農園 農薬不使用 へちま
ミモレ農園 へちま

微細領域を含む総合科学の世界から、研究開発を続けて、30年の月日が過ぎました。
 

もう一度、最初から考えてみる事にしました。
 

結論から言いますと・・・、共存している生命体が信号を送っている以上、体はその信号を受け取り何らかの応対をしているはずだということでした。
 

成人は60兆の細胞を有するという。そこに、細胞質の中には①ミトコンドリア(1細胞あたりの数は、1つに維持されている細胞もあるが、多い場合では数千個のミトコンドリアが絶えず分裂と融合を繰り返しているものもある。)②腸内細菌(ヒトの腸内には100種から3000種類の細菌が100兆個から1000兆個の腸内細菌が長さ約10mの腸内に生息しており、重量にすると約1.5~2kgに相当する。)③ソマチット(血液中に存在) この①②③は常に考えておく必要があるように思います。
 

それに加えて、ミトコンドリアの分裂と融合は生命維持と深い関係があります。最近、ミトコンドリアを元気にすることが、健康に生きるための要のように思えてきました。今回の反省は、腸内フローラのエサは、体調とは関係なく必要なのだということを考えていなかった事。頭で判断する考えを先行して、常に一緒に生き、私の体を支えてくれている、極微細な生命体達の事を考えない生き方をしてきた事でした。
 

その中で、唯一救われることは、昭和60年にひのきと出会い、ひのきの葉に興味を持ち研究を進めてきた事です。 ひのきの葉と人体のミトコンドリアとが、深い関係があることに気づき、30年以上も前から、手探りでミトコンドリアが元気に生きるための、方法手段を作り上げてきたことです。細胞質もソマチットも、ミトコンドリアが元気でさえいれば、共に、正常に活動できると思います。ミトコンドリアと癌、そして免疫細胞との関係などなど、事実が解明されてきています。BMDは本当の事を知り、元気に生きる知恵をお届けします。 完

 

 

 

近藤和子について

BMD(ビーエムディー) 創業者 近藤和子について

 

1944年山口県で生まれる(岡山市在住)。これまで「ひのき葉」の研究や「氣のメカニズム」の研究を行ってきた。 1985年より岡山県北部の間伐材を活用するために、自宅の台所で国産ひのき葉の研究をはじめる。その中で考案した物理的な考えである「氣代謝生理学」と いう考えを基に、ひのき葉を主原料とした化粧品や入浴液などを開発。1992年「生涯の健康と幸福を守る知恵の超循環」そし て「自主自立豊かな心で一生を」の理念のもとに㈱BMDを設立。2004年、NPO法人グリーンヘルプジャパン(GHJ)を 立ち上げ、人と自然にやさしい循環型社会を構築する活動をしている。

 

現在、(株)ビーエムディー 代表取締役社長、BMD予防医学協会 代表、NPO法人グリーンヘルプジャパン 代表理事など。