今月の伝えたいこと  情報通信 vol.190 近藤和子記

ミモレ農園 農薬不使用 下町美人(白長なす)
ミモレ農園 下町美人(白長なす)

最近のBMDグループの動きを追って
ーひのき葉の研究を始めて30年余り、世代は変わるー

 

 

今月は、ひのきの研究をはじめ、現在に至るまでの事を、思い出すままに、書いてみようと思います。

 

そうする事で、より理解していただくことが出来、将来の展開につながる様に思いますので。

 

ここ数年で、ひのきに関する研究は、ほぼ、長女夫婦に託す流れになりました。
後継者として自覚している2人の姿勢は私以上に、山を活かす事・地域を活かす事を考えて活躍しており頼もしく思うこの頃です。
 

研究を始めた時、幼稚園児だった娘の徳子が、会員の皆様の協力のお陰で・・、スイスの高校・ベルギーの大学とヨーロッパで過ごし、東京の大学院を出て、岡山県の山の、ひのきの世界に帰ってきました。サケの稚魚が育ち、生まれた川に帰ってきたように・・・。
 

思い返せば・・・ひのき葉の研究を始めたのは、昭和60年の事でした。
 

私は昭和19年生まれなので、41才頃から、この9月で73才になるまで、30年以上も続けてきている事になります。
 

考えれば、気が遠くなるような話ですが、未来を見続けて歩み続けてきた30年間は、そんなに大変な事ではありませんでした。むしろ、ひのきの葉を研究して、商品開発するまでの過程は、私を幸せにしてくれました。
 

ひのき茶から始めた、開発商品は、今では、かなりの数になっています。そして、多くの人に理解していただき、大切に育てていただいています。

 


この商品を販売するに当たり、私は会員制の協会を株式会社ビーエムディーの中に設立しました。目的は世の中にない商品であった事もあり、新しく開発した商品を皆さんで使っていただき、その結果を知らせていただき、次の開発の参考や改善に役立てるためでした。
 

最近の医療の世界は患者の気持ちを大切にされるようになり、総合医療という名前の科も出来ていますが・・・。
 

30年前は西洋医学と東洋医学との溝は深く、その狭間で、患者がいらない気を使っていました。基本的に、病気と共存していた私は、気を使わなくてもよい方法や、自分自身で守る予防医学の世界の必要性をいつも考えていました。
 

このひのきの葉の商品を開発するようになった頃の私は、岡山市の地で、東洋医学の鍼灸師と内科の医師とで、東洋医学と西洋医学を加えて、予防医学を同じ立場で考える考え方をする医療機関を開業しておりました。
 

 

こうした背景の中で、ひのき茶は生まれました。発売までにはいろいろありました。患者さんには、大変な協力をいただきました。この協力がなかったら、ひのき茶は誕生していなかったと思います。 

 

2年間で2万本の試飲をしていただき、データを取り、販売する事になったのです。
薬学の教授も協力していただきましたが、それよりも、患者さんたちが進んで、試飲をしてくださり、レポートを書いてくださいました。これに参加してくださった方の数は、数百人だったように思います。

 

又、数年間も研究を続ける事が出来たのは、銀行の協力のお陰でした。経営という世界を知らない私は、売上もないのに、平気で何年も、研究していました。


今から、考えますと、無知だったと思います。協力者の人たちの、私の研究を成功させようとするお気持ちも当時の私は、その協力に対する感謝の量は、お恥ずかしい話ですが、おそらく、答えるに値しなかったのではないかと思います。

 

このひのき葉の研究の経緯にはいろいろな事がありました。
 

まず、昭和60年に、今の、農林水産省から、山の荒廃を防ぐための活動を、国民レベルで考えようという企画が出されました。
 

当時の私は、山とは何の関係もない人間でした。
 

その頃は、「体内に電気が溜まれば病気になる」という、医学の学説を信じて、体内に溜まった電気を体外に発散させる方法をいろいろ考え、16才の時に無線に熱中して、受信機や送信機を組み立てていました経験から、氣代謝生理学という理論のもとに、体内の電気信号の流れを整える氣代謝誘導装置を作り、その氣代謝生理学を基本とした予防医学の考え方を構築しつつありました。

 

ミモレ農園 バターナッツかぼちゃ
ミモレ農園 バターナッツかぼちゃ

そんな時、主婦という立場から、山の荒廃を防ぐ活動に参加するようにという依頼が来ました。よく知っていた人からでしたので、軽い気持ちで参加しました。まずは、間伐材を活かすという事をしました。
 

収益が少なく、山の荒廃を防ぐところまでには至りませんでした。
 

私は、何か良い知恵はないのかと、考えましたが、そう簡単には答えは出ませんでした。30年経ったいま現在でも、確かな答えは出ないままで、国がお金を出して維持していますが、解決には至っておりません。最近は、自治体が独自に森林税を交付しているところもあります。

 

私は、山の木を材料にして、収益が上がれば荒廃は防げると考えておりました。その当時は、間伐が出来ていないのが問題でした。
 

最近は、当時間伐した木が50年経ち、伐採する時が来ている、その木に対する国内需要が少なく、伐採できないのが問題だという話です。いつまで経っても解決しない、この山の問題に対して、私は常に考え続けてきました。

 

山の木を原料にした商品が広く普及すれば、きっと、山の荒廃を防ぐ事が出来ると信じて・・・。こうした考えで始めた私の研究は、ある時から、農林水産省の管轄から外れる事となったのでした。
 

その理由は、ひのきの木ではなく、葉の科学を始めた私の研究に対して、当時のお役人は、木を活かす事を進めているので、葉は対象外だという事でした。
 

途方にくれた私は、岡山県の薬務課に相談しました。当時の担当者は事情を聴き、厚生省に話をしてくださいましたが、そんな企画はないという話でした。これは当然の答えだと思いました。
 

そこで、岡山県の薬務課は、材料に岡山県内のひのきを使うという条件で、出来るだけ協力してくださることになり、私のための産官学の連携が出来ました。


ひのき茶を完成させ、販売するための、許可の問題。その後、化粧品の製造を始める時も、きめ細かい指導を受けた事を思い出します。
 
 

当初私は、こんなにも長い年月、ひのき葉の研究を続ける事になるなど、考えてもいませんでした。ひのき茶を販売し始めて、1年が過ぎた頃、ひのき茶を顔に付ける人が増えてきました。これはどうした事かと、薬務課に相談に行くと、製造者が罰せられるとの話でした。そこで、薬務課は化粧品も製造する事を進めてくださいました。当時の化粧品製造業の許可は厚生省でした。今は都道府県になっていますが・・・。
 

大手のメーカーと同じ許可を取るなんて、気の遠くなる話でした。
 

化学の世界なので考えさせられましたが、もともと、嫌いな分野ではなかったので挑戦する事にして、結構厳しい中で、製造許可を受ける事ができました。
 

そうすると、会員の方から手が荒れない台所洗剤が欲しいという要望があり、これにも、挑戦しました。エコの洗剤を作ることが基本ですから、随分と試行錯誤を続けました。
 

薬学の教授に来ていただき、指導いただいたのも、懐かしい思い出です。

 

現在のBMDシステムの商品開発は、後を継ぐ若い人へと移行しております。
 

その、中心は、ひのき葉の研究を始めた時は幼稚園児でした長女の徳子とベルギー国籍の夫とで、よりレベルが向上するようにと、努力してくれております。
 

この2人も、最初から勉強して、いろいろな商品開発に挑戦しております。
 

開発・改善商品の中で素晴らしいと思うのは、次の商品です。

 *美容オイル「ひのきナイトオイル」
 *化粧品「ヒノキ・ラボ ばんでふぉれ」
 *エコ洗剤「ひのき洗剤 テハダ」 

 *寝具「氣代謝ふとん」
 *新庄村生まれのひのき精油

 

こうして、開発・改善された商品が、会員の皆様のお陰で、使われ続けています。もう少しで、皆さんの、環境・美容・予防医学に役立つ事を願っています。
 

昨年2月、山の荒廃を防ぐための目的で開発した原点に帰るために、オイル工場のある岡山県真庭郡新庄村に本社を移転いたしました。1000人規模の小さな自治体です。日本で最も美しい村にも、早くから選ばれています。

 

農林水産省と別れて、ひのきの葉の商品は、故郷の山に帰っても、すぐには受け入れられないのが現実ですが、何とか、山の荒廃を防ぐための力になりたいという思いで続けておりました。

 

今年に入り、長女夫婦がひのき葉のエッセンシャルオイルを製造する事を本気で考えるようになりました。私は内心、これで、やっと、BMDシステムの世界を農林水産省に返す事ができるような気がしております。そして、念願だった、山の荒廃を防ぐ、という事も、夢ではないように思えております。
 

私の願い通り、今、多くの立場の方々の協力を受け入れ、進み始めています。
その内容を次に載せさせていただきます。

 

 

■「新庄村生まれ」は、地域ブランドとして開発し、持続可能な地域創生に繋がるように様々な活動を進めています。これは、この度新庄村の方たちと連携して行う作業の案内です。

 

ミモレ農園 農薬不使用 おくら
ミモレ農園 おくら

しかし、歩き出したばかりで、形があるわけではないので、多くの方々に、力を貸していただいて、今、作り上げようとしています。まず、ひのき葉のオイル・ひのきの幹のオイルの最高レベルの商品作りにも挑戦しております。

 

BMDは岡山県のベンチャー企業に指定されております。これは、もう15年も前の事だと思いますが、その当時から、見守ってくださった人たちが立場も変わられ、まだ、日本社会になじめない夫婦の力になってくださっています。
 

そして、最近、聞かされた事で嬉しかった事は、ひのきの葉の科学に関して、農林水産省の窓口が親切に対応するようになっている事でした。
 

まだ、動きはじめたばかりの話ですが、新聞社の取材も受けて、地域ぐるみの動きも高まっているようです。

 

そして、近い将来、製造だけの事ではなく会員の皆さんを、美しい村新庄村に招待できるようにしたいと考え、計画しています。森林セラピーが出来るこの村で、身も心も、癒して頂けるようにと。
 

今年中に、村に移住して、BMDの活動を一緒にする家族も決まりました。
 

会員の皆様にとって、新たなふる里となれることを願っております。

 

このBMDシステムと切り離す事が出来ないのが、ミモレ農園のBMD農法で作られている野菜たちです。徳子の提案で、6次産業を目指し、加工食品も出来ました。畑での「畑ごはん」というイベントも続けています。人が生きる事を体制とした社会が作られて行くのを感じます。

 

 

 

◎ひのき葉を手摘みし抽出した
最高級の和精油「新庄村生まれ  ひのき 精油  葉」が山陽新聞に掲載されました。

 

『2017年6月16日  山陽新聞朝刊  25ページ』
『2017年8月6日  山陽新聞朝刊  29ページ』

近藤和子について

BMD(ビーエムディー) 創業者 近藤和子について

 

1944年山口県で生まれる(岡山市在住)。これまで「ひのき葉」の研究や「氣のメカニズム」の研究を行ってきた。 1985年より岡山県北部の間伐材を活用するために、自宅の台所で国産ひのき葉の研究をはじめる。その中で考案した物理的な考えである「氣代謝生理学」と いう考えを基に、ひのき葉を主原料とした化粧品や入浴液などを開発。1992年「生涯の健康と幸福を守る知恵の超循環」そし て「自主自立豊かな心で一生を」の理念のもとに㈱BMDを設立。2004年、NPO法人グリーンヘルプジャパン(GHJ)を 立ち上げ、人と自然にやさしい循環型社会を構築する活動をしている。

 

現在、(株)ビーエムディー 代表取締役社長、BMD予防医学協会 代表、NPO法人グリーンヘルプジャパン 代表理事など。