今月の伝えたいこと  情報通信 vol.196 近藤和子記

ミモレ農園 ほうれん草
ミモレ農園 ほうれん草

 

謹賀新年

 

 

年頭にあたり

 

平成31年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

今年は、平成が終わり新しい時代がはじまる年です。

 

BMDの岡山本部のビルは、平成元年落成、それから30年間、微細領域を含む科学技術を基本とした商品の開発に努めてきました。総合科学の世界です。

 

そして、幸いなことに、BMDシステムが定義づけて来た考え方は間違っていなかった事が最近、明らかになってきています。

 

昨年、こんな体験をしました。右手首の骨折・右肩の脱臼という、6か月はかかると言われた修復は1週間でした。
不思議なことに、髪の白髪も黒色に変わりました。今は、白髪も増えておりますが、観察しております。
更に、損傷を受けた部分修復には時間がかかりました。

 

この経験から、体の中の電気信号の営みを、今まで以上に感じ取ることも出来ました。
新しい時代を迎えようとしていますが、時代の流れに合わせて、敏感な人が増えて来ているように思います。

 

最近、その方向に変化している自分を感じます。社会も、AIが進み、ロボットが進化している現代社会の実態こそが微細領域を含む総合科学社会の幕開だと考えます。BMDも遅れないように、進みたいと考えております。

 


 

 

BMDシステムの誕生話
 

 

昭和60年に、農林省が進めた「国民みんなで山を活かす」プロジェクトに参加しました。知人の勧めで、主婦レベルでとの話でした。 
 

山の大切さを知る事になり、本気で考えるようになりました。
 

経済が伴う方法はないかと、試行錯誤していた時、ひのきの葉には多くの成分が含まれていることを知り、科学すれば、何とか出来るのでは、と考えるようになり、3年間の研究の末、ひのき茶を作る事が出来ました。
 

このことを、農林省に申し出ましたが、葉は対象外という答えでした。仕方なく、県の薬務課に相談したところ、いろいろありましたが、岡山県の薬務課の方と岡大の薬学部の教授との産官学で進める事となりました。
 

これは、政府の補助金対象外の有志の集まりだったのです。当初、私は、何か一つの商品が出来れば、私の役割は終わりと考えていました。
 

その頃、野口整体を作られた野口晴哉先生の最後のメッセージの中に、これからは、氣しかいらない時代が来るというような内容があり、整体を学んでいた私は、高校の時、真空管の中で営まれている電子の動きに魅了され、自分の体調を整える方法として、使える方法を研究していました。
 

この氣を、氣=電気信号=エネルギーと捉え、体内の営みは、氣が優先であることを確信するようになりました。
 

ひのき茶は医師・薬学の教授・東洋医学研究所の協力の元に、2年間で2万本の試供を行い、この試供の対象者は、東洋医学と西洋医学の患者さんでした。
 

そのデーターは、驚くものでした。このデーターは残されていますが、医師法に触れるので、公開出来なくなっていますが、何故このように良い結果が出ているのかという原因を調べる必要が出て来ました。
 

開発した者の責任として、私が研究することになり、それから、ひのきの葉を科学する生活が始まりました。
 

最近は、微細な世界の科学が進み、森林浴をすることで、ミトコンドリアが元気になることが、簡単に証明されるようになりましたが、30年も前には、こんな話は、理解していただけませんでした。

 

岡山ひのき葉から生まれた「ひのき茶」
岡山ひのき葉から生まれた「ひのき茶」

 

ミトコンドリアがエネルギーを作っている事を知った私は、体内の氣=電気信号=エネルギーとの互換性に興味を持ち、化学の分野である、ひのき葉の研究に、物理の分野である電気信号とを同時に科学することを始めました。 この考え方を教授に提案すると、分野が違うので共同は難しいという話になり共同研究を解消しました。
 

2年後、教授が訪ねて来られ、私が定義としていた、電気信号の世界が科学をリードしているという事が分かったということでした。
 

薬と電気信号の関係も分かったという話と、10年もすれば、必ず、理解される時が来るので頑張って下さいと言う話でした。
 

国が2000年に、微細領域を含む、物理・化学・生物・自然科学を統合させる考え方を、総合科学として認めるまで、こうした考え方は学問として認められてなかったのです。
 

教授の話から20年以上経過した、最近になって、素粒子が持つ電気信号と分子構造との関係が常識化してきています。
 

それでも、今日まで研究を続けられたのは、協会を作り会員のみんなで研究することが出来、私が開発した商品が、結果を出してくれたからでした。
 

微細な世界を含む研究成果を数値で表すことは、大変難しいことです。
 

そこで、国は再現性があれば、科学と認めるという規定を発表しています。
 

その再現性は100人規模でした。BMDのグループは1000人規模でしたので、会員の方々からの報告は、私の研究の原動力となりました。
 

それでも、社会の抵抗は厳しく、考えていることをストレートにお知らせすることができませんでした。
 

最近、急速に、私の研究してきた分野が世の中に浸透して来ています。
 

これは、国の方針のようです。
 

私は、平成が終わり、新しい時代が来るという、新しい時代とは、微細領域を含む総合科学の世界であり、そこから作り出される科学技術がリードする時代が加速度をつけるということと理解しています。
 

私は、この考え方を普及するために、生涯学習の学院も作りました。現在の東京・大阪・広島のBMD活動の拠点は、学院の後を引き継いでいます。
 

長い年月、多くの人の協力でBMDは生かされてきました。
 

体内の水・電気・細胞・微生物・脂を総合科学の分野から良くするという研究は進み、後には、BMD農法もできました。何時の日か予防医学協会の範囲は、環境・美容・食育と広がりました。
 

この世界を広めるための方法として、官僚の方から、内閣府認証でNPO活動するように勧められました。
 

この話も私にはハードルの高いものでしたが、世の中のためになるのならと、挑戦し14年が過ぎましたが、まだ納得のいく活動が出来てないのが現状ですが、これからだと、考えています。
 

30年前に想像した世界より、最近の変化には加速度が出ているように思います。それは、素粒子レベルの電気信号を科学出来たことが大きいように感じています。
 

BMDは今後も、それでも改善されない、世の中の負荷要素を改善する科学技術の開発に挑み続けたいと考えております。BMDの理念と目標である「生涯の健康と幸福を守る知恵の超循環」「自主自立、豊かな心で一生を」
この内容をサポート出来る、科学技術の商品開発のために・・・・。

 

 

近藤和子について

BMD(ビーエムディー) 創業者 近藤和子について

 

1944年山口県で生まれる(岡山市在住)。これまで「ひのき葉」の研究や「氣のメカニズム」の研究を行ってきた。 1985年より岡山県北部の間伐材を活用するために、自宅の台所で国産ひのき葉の研究をはじめる。その中で考案した物理的な考えである「氣代謝生理学」と いう考えを基に、ひのき葉を主原料とした化粧品や入浴液などを開発。1992年「生涯の健康と幸福を守る知恵の超循環」そし て「自主自立豊かな心で一生を」の理念のもとに㈱BMDを設立。2004年、NPO法人グリーンヘルプジャパン(GHJ)を 立ち上げ、人と自然にやさしい循環型社会を構築する活動をしている。

 

現在、(株)ビーエムディー 代表取締役社長、BMD予防医学協会 代表、NPO法人グリーンヘルプジャパン 代表理事など。